静岡地方裁判所 昭和40年(行ウ)4号 判決 1972年9月27日
静岡市鷹匠町一丁目二二番地
原告
静岡勤労者演劇協議会
右代表者運営委員長
粂田和夫
右訴訟代理人弁護士
大蔵敏彦
同
小林達美
静岡市追手町六〇番地
被告
静岡税務署長
嶋田修治
右指定代理人
佐藤弘二
同
長沢甲子夫
同
伊藤新吉
同
岩田幸吉
同
郡保
同
沢村雅利
同
佐藤平武
右当事者間の入場税等決定処分取消請求事件について当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一、当事者双方の求める裁判
(一) 原告
「被告が原告に対してなした別紙目録記載の各入場税決定ならびに入場税無申告加算税賦課決定処分をいずれも取消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決。
(二) 被告
主文同旨の判決
二、原告の主張
(一) 被告は原告に対し、別紙目録記載のとおりの各入場税決定処分ならびに入場税無申告加算税の賦課決定処分をした。
(二) 被告の原告に対する前記各処分は、次の理由により違法であり、取消されるべきである。
1. 原告は静岡県中部の勤労者有志を中心とするサークル(会員三名以上で組織)をもつて構成する団体であつて、その目的はサークルを基礎とした自主的、民主的な運営により、すぐれた演劇を鑑賞、創造、普及することにある。
原告には規約があり、これによつて代表者が定められ、会員による自主的な企画運営のもとに定例演劇鑑賞会(例会)の開催、機関誌の発行、その他のレクリエーシヨン活動などを行い、団体として活動しているが、法人格を有しないものであり、いわゆる人格なき社団に該当する。
このような人格なき社団は、実体法上権利義務能力を有さず、財産を所有することもできないから、納税義務を履行する能力もないもので、そもそも租税債務の主体たり得ない。
そればかりでなく、仮りに人格なき社団に納税義務を課することができるとしても、入場税法には人格なき社団を納税義務者とする明文の規定はないから、同法にいう「経営者」または「主催者」とは、自然人または法人に限られ、原告の如き人格なき社団をこれに当るとして納税義務を課することは許されない(租税法律主義の原則)。このことは所得税法、法人税法には明文をもつて人格なき社団に納税義務を認めているのと対比すれば明らかであるし、国税通則法の成立過程および入場税法改正の経緯からも明らかである。すなわち国税通則法が昭和三七年国会に提案されたときは、権利能力なき社団等は「国税に関する法律の規定については法人とみなす」という原案であつたのに、国会の審議の過程で修正されて国税通則法の適用についてのみ人格なき社団も法人とみなされることとなり、納税義務の存在そのものは各実体租税法の規定によるところとなつた。一方同年改正の入場税法には権利能力のない社団に関する両罰規定が設けられていたが、国税通則法の右修正に伴い右両罰規定は削除された。なお被告は入場税法第八条の免除規定の別表上欄に社会教育法第一〇条の社会教育団体が含まれるという点などをとらえて、人格なき社団も納税義務があるという根拠として主張する。しかしその論理はまちがいであり、入場税法の適用については別表にいう「社会教育団体」等は、そのうち権利能力を有する団体だけに限定されるものと解すべきである。
2. 本件入場税等決定処分の対象とされた原告の例会は、入場税法第二条にいう「催物」ではなく、原告はその「主催者」ではない。
入場税法第二条第一項は、「催物」とは音楽、演劇等を多数人に見せ、または聴かせるものであると定義する。つまり演劇等を見せたり聴かせたりする者の存在と、これを見たり聴いたりする者の存在、すなわち主催者と入場者との存在を前提とする。
しかし、原告の組織、活動の実態はそのようなものではない。以下にそれを説明する。
原告は上記の目的をもつた団体であるが、その組織の基本はサークルにある。サークルは三名以上の会員をもつて構成され、新たに会員となろうとする者は原則としていずれかのサークルに所属しなければならない。会員になるということはサークルに加入することであり、退会ということはサークルから脱退することにほかならない。サークルでは一人一人の会員が充分に意見を述べることが可能であり、各サークルで話合われた意見がサークル毎に集約され、これが総会、運営委員会、専門委員会、ブロツク委員会に反映され、原告の具体的な運営方法に展開してゆくという過程をとる。サークルはそれぞれ代表者を選ぶ。代表者は総会に出席し、サークル員の意思を総会に反映させ、総会で委員を選出する。また代表者は会員のもちよつた会費を事務局に届け、入会退会の手続をとり、機関誌その他のニユースの配付などを行う。サークルは会合において上演希望作品、例会の事前研究や反省などについて討議し、また研究会、座談会、ハイキングなどの活動もする。そこで会員は人間的な理解を深め、連帯感を強化し、演劇を鑑賞し創造する能力を啓発される。
例会は原告の活動の中で重要なものである。例会は一般興行と比較すると著しい特色がある。第一に興行では観客は自分でその内容を決定できないで、ただ与えられたものを鑑賞するほかないが、例会は会員の要求を基本にできる限りこれを反映させることが要求される。例会の企画は次のようにして決まる。まず会員の批評、要求がサークルに集約され、さらにブロツク毎にまとめられ、それが委員会によつて具体的な要望作品となる。そして劇団との交渉を経て、各劇団の来年度の企画について資料ができる。その資料にもとづいて再びサークルとブロツクで討議され、最終的に運営委員会で討議されて企画がきまる。特色の第二は、会場の設営、整理等、例会の運営がすべて会員自身によつて行われ、しかもこの運営にたずさわる会員もまた会費を分担していることで、一般興行の主催者が従業員を使用して運営しているのと比べて大きな特色である。さらに会員自身が例会に出演することもある。それも無報酬であり、各自平等に会費を分担している。また例会の座席も一般興行のように良い席を高く売るようなことはなく、公平、平等になるように考慮されている。第三の特色として例会では事前に会員が内容を理解し研究する学習会を開いたり事後に合評会を開くなど積極的に例会内容を充実させている。
このように、原告は会員個人の集団ではあるが個々の会員と対立し独立した存在ではない。例会は会員だけが参加し、会員以外のものは参加できない。例会は会員自身が会員自身の手により会員自身のため企画運営し、会員自身がこれを鑑賞している見せる者と見る者との対立関係は全くない。
したがつて例会は催物ではなく、原告は会員と対立しこれと別個の主催者ではない。
3. 本件入場税決定処分等において、入場料金に該当するとされた原告の会費は、入場税法にいう入場料金の性質を持つていない。
会員の拠出する会費の性格は、全体としての労演運動を維持発展させるために、これに必要な費用を各会員が平等に分担しているものである。したがつて会員は例会に参加すると否とにかかわらず、原告に会費を納めており、原告は一般興行と異り利益の追求を目的とせず、会費は収支相つぐなうことで足りるということから決定される。
例会は原告の運動の重要な一部ではあるが、その全部ではなく、原告はその他研究会、座談会、ハイキング等の例会外活動や機関誌の発行などをしている。これらの活動費用や事務局の費用、事務所の賃借料等は、すべて会費によつてまかなわれている。また原告の場合、年間の例会数は八回でありしたがつて例会が三ケ月連続する場合もあり、二ケ月以上も例会がないこともある。例会をどの月にするかは、全く日程の問題で、例会の財政規模とは無関係である。しかし会費は例会の有無にかかわらず毎月納入される。
このように会費が例会ごとの入場の対価であるということはできず、これを入場料金に当るとする被告の主張は誤つている。
4. 入場税を原告に課することは憲法第二五条に違反する。
憲法第二五条は「健康で文化的な生活を営む権利」を国民の基本的人権として保障しているが、国は国民の文化的な権利の実現に対し、ほとんど何らの施策もなしていない。ことに日本における文化の中央偏重傾向によつて、地方における国民の文化的生活を営む権利の保障は、きわめて乏しいものである。
原告はこのような状況の中で、入場税を負担している一般興行の入場料金を支払うだけの資力の乏しい、働く大衆の間から、会員が平等に会費を分担し、興行者の手を排除して、自分たちの手で自分たちの芸術を鑑賞し、つくり出そうとして結成された団体の中の一つである。
これらの団体が結成されてはじめて地方都市の働く大衆にも良い音楽や演劇を味わう機会を持つことが可能になつたのである。
原告らに入場税を課することは、国がその義務である文化施策を全く怠りながら、逆に大衆自身の力でその文化的要求をみたそうとしている原告らの活動をいちじるしく困難にさせることを意味する。このような点からみて、原告に対する入場税課税は憲法第二五条に違反するものである。
(三) (被告の主張に対し)
別表記載の日時場所において、その記載の演劇の公演が原告の例会として催されたことは認めるが、一人一回の入場料金欄に記載された金額は、二ケ月分の会費で、当時は二ケ月に一回例会を開いたので、二回にわたつて拠出されたものである。同表記載の入場人員についてはすべて争う。
三、被告の主張
(一) 原告の主張(一)の事実は認める。同(二)のうち、原告が規約を定め代表者を有している人格なき社団であること、原告が定期的に演劇観賞会を開き、機関誌の発行をしていることは認める。原告の法律上の主張はすべて争う。
(二) 原告はその自認するとおり人格なき社団であつて、後記の如くその事業として例会と称する催物を主催し、その催物に原告の会員とされている多数人を入場させ、それら入場者から会費という名目で入場の対価を領収しているものである。
本件各課税処分は、原告が別表記載の日時場所(いずれも入場税法第一条第一号該当の場所)において、それぞれ主催した催物の入場料金についてなされたものであつて、それら催物の種類および内容、入場人員、一人一回の入場料金、税込入場料金の総額、課税標準額、入場税額、無申告加算税額(原告が右各催物について入場税額等の申告をしないため)は、すべて同表記載のとおりである。
(三) 原告の主張(二)の1ないし4について。
1. 人格なき社団は、民法上これに権利能力を認める規定がないため、法人格を有しないけれども、社会的な実体としては機関たる代表者の行為によつて、対外的に団体として行動し、第三者と取引関係を結び、社団の名において構成員全体のために権利を取得し、義務を負担するものであつて、社会生活上の一単位として実在し、社団法人に準じた実体法上の地位を有するものとして活動している。そして法律がこのような社会的存在に対して権利義務能力を認めるかどうかは、全く立法政策の問題であり、私法の分野において権利義務能力を認められていないこのような団体に対して、公法の分野においてかかる能力を認めて法的規制の対象としても、一向にさしつかえがない。したがつてある租税法規上人格なき社団が納税義務を負うものかどうかは、もつぱらその租税法規の解釈によつて定まるべきことであつて、人格なき社団が本来納税義務者たり得ないものであるという原告の主張は理由がない。なお人格なき社団が納税義務者となつた場合には、社会的現象として人格なき社団そのものに帰属するとみられる(法律的には構成員全体の総有に属する)財産によつて納税義務を履行することを要し、又それで足りるのであるから、原告主張のように人格なき社団には納税義務を履行する能力がないということはない。
次に入場税法第三条が納税義務者として定めている「経営者」および「主催者」の中に人格なき社団が含まれるかどうかは、一見明白であるとはいえないが、そもそも入場税は、興行場へ入場料金を支払つて入場する者には、そういう娯楽的消費支出をするだけの負担能力があるということに目をつけて、これに税負担を課そうとするものであつて、実質的負担者は入場者であり、「経営者」又は「主催者」が納税義務者とされているのは、徴税上の便宜にもとづくのである。したがつて納税義務者のうち「主催者」について言えば、「主催者」たり得るものは、法人格の有無にかかわらず、社会生活上の統一的活動体として、その名において興行場の借受け催物のための出演契約、その広告宣伝等関係諸経費の支払等について、契約当事者として活動し、現実に催物を行い、入場料金を徴収するなど、いわゆる自己の計算において催物を主催し得るものであれば足りると解すべきである。
このことは入場税法第八条に定める免税興行に関し、同法別表主催者欄の一に「児童、生徒、学生又は卒業生の団体」が、同四に「社会教育法第十条の社会教育関係団体」が、それぞれ免税される対象として掲げられていることをみても明らかである。すなわち前者は通常法人格を有していないものであり、後者については右社会教育法第十条に「法人であると否とを問わない」旨の規定があつて、これらの団体が免税の対象とされていること、すなわち本来的には納税義務を負うものとされていることは、結局法人格の有無が納税義務の存否に何ら影響を及ぼさないことを示しているのである。
なお税法のうち、法人税法、所得税法、相続税法には、それぞれ「人格なき社団」は法人又は個人とみなして、当該法律の規定を適用する旨の規定を設けているのに対し、入場税法はそういう明文の規定を欠いている。しかしこれは各税法の規定の仕方の特殊性に由来するのである。すなわち法人税法は納税義務者を「法人」に、所得税法はこれを「個人および法人」に、相続税法はこれを「個人」に、それぞれ限定しているので、人格なき社団を右各税法の規制の対象にするためには、前記のようなみなし規定を必要としたのである。これに反し入場税法はその納税義務者を個人又は法人に限定する規定を設けていないので、人格なき社団についても格別みなし規定をおく必要がないのである。
また原告は昭和三七年の国税通則法および入場税法の制定改正経過を根拠に原告に納税義務がないと主張する。しかし、それらの政府原案は税制調査会の答申に、もとづくものであるが、その答申においては、入場税などの間接税については人格なき社団を納税義務者に含める明文の規定はないが解釈上含まれることは当然であるとの前提に立ち、ただ間接税法上の規定をめぐつて人格のない社団に対する罰則の適用について問題が生じているので、その納税義務を立法上明らかにすると共に人格なき社団およびその代表者を処罰しうることを規定しようとしたものである。したがつて、右政府原案が修正されても、人格なき社団の納税義務には影響がない。ただ罰則の適用がないことになつたに過ぎない。
2. 原告は、原告の例会は会員が全体で主催し、かつ全員全体がこれを鑑賞しているもので、原告は主催者ではなく、また見る者と見せる者とは一体であつて、その間に対立関係がないから、入場税法第二条第一項にいう「催物」ではないと主張する。
しかし例会の主催者が原告であることは、次のとおり明らかである。
原告はその規約によれば「良い演劇を安く鑑賞する一切の活動を行うこと」を目的として昭和三八年三月に結成された人的結合体であつて、団体としての組織を備え、その運営については多数決の原理が行われ、設立以来構成員の増減変更にかかわらず同一の団体として存続し、内部的には規約によつて代表の方法、組織および運営の方法、財産の管理等が定められ、対外的には社会生活上の一単位として実在し、団体として活動しているものであつて、原告自ら主張するとおり、いわゆる人格なき社団に該当するものである。
原告は原則として三名以上の会員から成るサークルを単位として構成されているが、入会希望者が三名に満たないときは、個人会員として入会を認められている。サークルは原告が会員と連絡する(会費の徴収、催物の種目の伝達、後記座席券等の交付等)繁雑さを軽減すること、会員を固定させ、増加させるための拠点とすること等の便宜に出たものということができる。会員となるについては何の資格も要件とされていない。誰でも所定の入会金と会費を納めれば会員になれる。会員であれば例会を鑑賞することができる。また退会も自由である。
原告の規約によると、原告の機関としては、総会、運営委員会、常任運営委員会がある。役員としては運営委員長、運営委員、常任運営委員、監査委員等がおかれ、いずれも総会で選出される。日常の事務を処理するために、運営委員会の統括の下に事務局が設けられ、ここに事務局長および原告に雇われている事務局員がいる。総会は毎年招集される総会と必要に応じて開かれる臨時総会とに分かれ、総会の意思は出席代議員の過半数によつて決定される。総会では原告の業務運営に関する基本方針の決定等がなされ、運営委員会はその運営方針を決定し、常任運営委員会はこれを実施することとされている。
ところで原告の事業のうち、もつとも重要なものは、その設立の目的からも明らかなように、毎月定期的に演劇鑑賞会(いわゆる例会)を催し、会員にこれに参加する機会を提供することである。例会における上演種目は、総会が決定基本方針にもとづいて運営委員会等が具体的に選定する。その決定に当つては会員の希望や趣向を反映するようにしているが、それは企画の参考にされるに過ぎず、最終的な決定は原告によつてなされる。また例会において会員の一部が場内整理などを分担するということがあつても、それは例会を安く催すため経費を節約しているにすぎない。
例会が催されるたびに、原告は出演者と交渉して出演契約を結び、その出演料等を支払い、例会場を借り受けるための契約を結び、賃料を支払い、その他ポスターや座席券の印刷等、必要な一切の準備行為をする。これら対外的な行為は、ほとんどの場合、原告の代表者である運営委員長が原告の名と責任において行う。時には事務局長がすることもあるが、それは運営委員長の委任にもとづいてするのである。原告は例会に先だつて次の例会を紹介した機関誌、チラシ、ポスター等を作成配布して、その内容を広告宣伝する。そしてその例会をみたいという会員はサークル代表者を通じて会費を支払つて参加の申込みをし、これに対して原告は座席券を交付する。会員は座席券を当日呈示して入場する。このように会員の例会の予約および座席券の交付は一般の興行における前売券の発売とその機能を同じくする。会員がある例会の上演種目が希望するものでないときは、会費を納めないことによつて脱会することができる。現に原告の会員数は例会の人気の度合などによつて著しく増減流動している。例会の入場者が多ければ収益が残り、少なければ欠損を生ずるが、収益があつたからといつて会員に分配するわけではなく、欠損があつたからといつてそれを当時の会員から追徴するわけではない。
このように、原告と会員との間の法律関係は、例会で演劇を鑑賞すること、その代償として会費という名の入場料金を払うこと、に集約される。したがつて、原告は催物の主催者である。
原告はまた原告の例会は会員が全体で企画運営し、会員だけがこれを鑑賞するものであるから、見る者と見せる者との対立関係がなく、入場税法にいう「催物」に該当しないという。
しかし入場税法第二条第一項は、「この法律において「催物」とは、前条各号に掲げる場所(以下興行場等という)において、映画、演劇、演芸、音楽、スポーツ、見せ物、競馬、競輪その他政令で定めるこれらに類するもので、多数人に見せ、又は聞かせるものをいう」と定めているところ、ここにいう多数人とは、特定、不特定を問わないのであつて、団体等が構成員の総意にもとづいてその希望する劇団等を招き、その会員だけのために演劇を上演させるような場合でも、同法にいう「催物」でないということにはならず、会員が協同してその企画立案に当り、会場の管理設営等の仕事を分担するとしても、右の結論を左右し得ない。
原告の例会は、前述のように個々の会員とは別個独立の社会的存在である原告が、原告の計算と責任において、前記法条にいう興行場等に該当する場所で、会員である多数人に演劇を見せるものであり、原告主張のように見る者と見せる者との対立関係が存在しないということはできず、「催物」に該当することは明らかである。
3. 原告は例会の会費は入場の対価ではなく、入場料金の性質を持つていないという。
しかし、前述のとおり、当該例会のための会費を支払わない者は原告の会員ではなくなり、座席券の交付を受けられず、したがつて入場することも許されないが、納入すればこれを唯一の契機としてそれだけである月分の催物の座席券の交付を受けて、会場に入場して上演の演劇を鑑賞することができるのである。つまり会費が入場に対する対価性を有することは明らかであつて、会費は入場料金であるといわなければならない。
また原告は利益の追及を目的としていないというが、それだからといつて会費が入場料金でないことにはならない。ただし入場税は収益課税ではなく、興行場等へ入場するという娯楽的消費支出について担税力があるものとして、この支出に課税するものだから。
原告は会費は例会開催費用にあてられるだけでなく、例会外活動費、機関誌発行費、事務局費等の支出にもあてられているから、会費のすべてについて入場の対価性を認めることはできないともいう。
しかし原告の主たる事業は例会の開催であり、これに要する費用をまかなうために会費を徴収し、会費を支払つた者に例会を鑑賞させているのであるから、会費はまさに入場の対価たる入場料金である。原告主張の例会開催費以外の諸費用というのも、いずれも例会を開催するのに通常必要な費用であり、仮りに原告が会費収入から例会のために支出した経費を控除した剰余金で例会以外に何らかの活動をしたとしても会費全額が入場料金であることに変りはない。実際に原告が経費を必要とする例会外活動をする際には、これに参加する会員からその都度参加費を会費とは別に徴収している。参加費を徴収しない活動は経済的価値がないものである。かつこれらの活動に参加する会員は総会員数のうちのわずかな人数でしかないから、会費は全額入場料金とみるべきである。
4. 原告は、原告に入場税を課することは憲法第二五条に違反すると主張する。
しかし原告に対して本件課税処分がされたからと言つて、その当然の結果として原告の会員が原告の主催する演劇等を鑑賞する機会をうばわれ、ひいて健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を害されるに至るとは言えないから、右主張は理由がない。
四、証拠
(一) 原告
甲第一ないし六号証、第七号証の一、二、第八、九号証、第一〇号証の一、二、第一一号証、第一二号証の一、二、第一三ないし一七号証、第一八号証の一、二、第一九ないし二五号証、第二六号証の一、二、第二七ないし二九号証、第三〇号証の一ないし四、第三一号証の一、二、第三二、三三号証、第三四号証の一、二、第三五号証、第三六号証の一、二、第三七ないし六五号証を提出。
証人田口和夫、同芦沢宏郎の各証言および原告代表者尋問の結果を援用。
乙第一号証の一、二、第二号証の二ないし五、第三、四号証第五号証の一、二、第六号証の一ないし三、第七号証、第八号ないし一〇号証の各一、二、第一一号証、第一二号証の一、二第一三号証の一ないし三、第一四ないし二〇号証の各一、二、第二一号証、第二二、二三号証の各一、二、第二四号証の一ないし三、第二五号証、第二九ないし三一号証、第三二号証の一、二、第三三ないし四三号証、第四四ないし四六号証の各一、二、第四七号証の一ないし三、第四八ないし五二号証の各一、二、第五三号証、第五四号証の一、二の成立は認める。その余の乙号各証の成立は知らない。
(二) 被告
乙第一号証の一、二、第二号証の一ないし五、第三、四号証、第五号証の一、二、第六号証の一ないし三、第七号証、第八ないし一〇号証の各一、二、第一一号証、第一二号証の一、二、第一三号証の一ないし三、第一四ないし二〇号証の各一、二、第二一号証、第二二、二三号証の各一、二、第二四号証の一ないし三、第二五ないし三一号証、第三二号証の一、二、第三三ないし四三号証、第四四ないし四六号証の各一、二、第四七号証の一ないし三、第四八ないし五二号証の各一、二、第五三号証、第五四号証の一、二を提出。
証人大上真弘、同後藤和幸の各証言を援用。
甲第一号証、第七号証の一、二、第八、九号証、第一〇号証の一、二、第一一号証、第一二号証の一、二、第一三、一四号証、第一八号証の一、二、第一九ないし二一号証、第二六号証の一、二、第二八、二九号証、第三〇号証の一ないし四、第三一号証の一、二、第三四号証の一、二、第三五号証、第六二ないし六五号証の成立は認める。その余の甲号各証の成立は知らない。
理由
一、別表記載の日時場所において、その記載の如き内容の演劇公演が、原告の例会として開催されたこと、被告が原告に対し、原告が右公演の主催者であるとして、原告主張の如き各課税処分をしたことは当事者間に争いがない。
二、成立に争いのない甲第一号証、第一〇号証の二、乙第一号証の一、第五号証の二、第六号証の三、第八号証の一、二に証人芦沢宏郎の証言ならびに弁論の全趣旨を加えると、原告がその主張の目的をもつて団体でいわゆる人格なき社団に該当する実質を有することが認められ、これに反する証拠はない。ところで、原告はまず人格なき社団は本来租税債務の主体たり得ないと主張する。そして成立に争いのない甲第六二号証は同じ趣旨の主張である。しかし人格なき社団は、民法上の権利能力こそ認められていないが、社会生活上の現象としては個々の構成員から独立して存在し、その規約の定めるところに従つて代表者を選び、団体意思を決定し、社団の名において対外的に活動し、法律上の財産取得能力はないけれども構成員の総有という形で実質上社団に帰属する財産を持つことができるのであつて、このような存在に権利義務能力を認めることが本来的に不可能であるといういわれはなく、むしろ、これにどのような範囲で権利を認め、義務を負わせるかは、専ら立法政策の問題である。したがつて租税法の分野において、人格なき社団に納税義務を負わせるかは、各租税法規がそれぞれの立場から定め得るものである。因みに私法上の取引関係においてもこのような社団はその名において訴え又は訴えられることができ、その裁判の結果認められた限度で実質的に権利を取得し、義務を負担する。その義務の履行について責任財産となるのは前記の如く法律上は構成員の総有という形で社団に帰属するところの財産であつて、個々の構成員の財産は何ら責めを負わされない。したがつて租税債務を人格なき社団に負わせても、その履行が不可能であるということはない。
次に原告は入場税法には人格なき社団を納税義務者とする旨の明文の規定がないから、同法にいう納税義務者たる「経営者」又は「主催者」とは、自然人又は法人に限られると解しなければならないと主張する。この点について原告は租税法律主義をいう。たしかにそれは大切な原則である。しかし一方で租税は公平でなければならず複雑な事象に対処し事態の変遷に応じ的確に課税の目的を達しなければならない。したがつて租税法律主義も文字どおりには貫くことができず、他の要請と調整されなければならない。そこに租税法の解釈の余地も生ずる。
たしかに入場税法には人格なき社団が納税義務者に含まれることを直接明記した規定はない。しかし本来入場税なるものは、入場税法第一条にいう「興行場等」へ入場の対価を支払つて入場しようとする者に対し、そのような娯楽的消費支出をするだけの能力に見合う担税力があるものとみて、税負担を課しているものであり、したがつて入場税の実質的負担者は入場者なのであつて、興行場等の経営者又は催物の主催者が納税義務者とされているのは、単に徴税上の便宜のために他ならない。そうだとすれば経営者又は主催者の人格の有無によつて、入場者が税負担を課されたり、されなかつたりするということは、税法の合理的なあり方とは言えない。むしろ経営者又は主催者という用語には、自然人又は法人のみがこれに当り、人格なき社団を含まないと解しなければならないような限定的な意味は何もないことから言つても、入場税法の納税義務者には人格なき社団も含まれると解するのが相当である。被告が指摘する如く入場税法別表の免税の対象となることができる催物の主催者として「児童、生徒、学生、または卒業生の団体」、「学校の後援団体」、「社会教育法第一〇条の社会教育団体」等のように、法人格を持たないのが普通である団体や法人格を持つことが要求されていない団体があげられていることをみても、前記のように解すべきことが知られる。
なお入場税法第二八条は人格なき社団を両罰規定の対象から除外しているけれども、それは徴税確保のための規定にすぎず、人格なき社団がその規制の適用から免れているからと言つて、納税義務自体をも免れるものと解するわけにはいかない(人格なき社団に納税義務を課しながら、右法条の適用をしないことには、必ずしも合理的根拠はないかも知れないが、逆に右法条の適用がないことが納税義務がないことの結果であるとみなければならないものではない)。また国税通則法の制定経過についても成立に争いのない乙第三二号証の一、二、第三三ないし三六号証によれば、人格なき社団が入場税その他間接税の納税義務があることが前提になつて、ただ罰則の適用について問題が生じたので、明文で納税義務を規定しようとしたものであることが認められるから、右結論を左右しえない。したがつて原告の主張は理由がない。
三、次に原告は、原告の例会は入場税法第二条にいう催物ではなく、原告はその主催者には当らないと主張する。
そこでその当否について考えてみるに、本件課税処分の対象となつた原告の各例会の内容および開催場所については前記のとおり当事者間に争いなく、右争いない事実によれば右各例会の開催場所が入場税法第一条第一号の場所に該当し、かつその内容が同法第二条にいう演劇に該当することは明らかである。
さらに成立に争いのない甲第一号証、第八、九号証、第一〇号証の一、二、第一一号証、第一二号証の一、二、第一三、一四号証、第一八号証の一、二、第一九ないし二一号証、第二六号証の一、二、第二八、二九号証、第三〇号証の一ないし四、第三一号証の一、二、第三四号証の一、二、第三五号証、乙第一号証の一、二、第二号証の二ないし五、第三、四号証、第五号証の一、二、第六号証の一ないし三、第七号証、第八ないし一〇号証の各一、二、第一一号証、第一二号証の一、二、第一三号証の一ないし三、第一四ないし二〇号証の各一、二、第二一号証、第二二号証の一、二、第二三号証の一、二、第二四号証の一ないし三、第二五号証、第二九ないし三一号証、第四四ないし四六号証の各一、二、第四七号証の一ないし三、第四八ないし五二号証の各一、二、第五三号証第五四号証の一、二、証人芦沢宏郎の証言により成立を認められる甲第四ないし六号証、第三二、三三号証、第三七ないし五〇号証、第五九ないし六一号証、証人田口和夫、同芦沢宏郎の各証言、原告代表者尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、原告は静岡県中部の職場、地域、学校等における三名以上の演劇愛好家の集り(サークル)を単位として構成される団体であつて、よい演劇をより多く、より安く、定期的に鑑賞し、会員の教養を高めるとともに、演劇の創造普及に努力し、文化の向上に寄与することを目的として掲げ、右目的の遂行のため、定期的に演劇鑑賞会を開催し、その他研究会、講座、座談会、映画会等を催し、機関誌を発行する等の活動を行うものであること、原告の会員となるためには、原則として構成単位であるいずれかのサークルに所属し、規約で定められた入会金と会費を納入することが必要であるが、サークル加入が困難な場合には、本件当時は暫定時に個人会員として入会することも規約上認められており、かつ会員となるには勤労者であることなど個人的な資格要件の制限は事実上一切なく、結局誰でも入会金と会費さえ支払えば、自由に入会できるものであること、会費の額は規約で定められ、毎月定期的に納入しなければならず、これを怠ると自動的に会員資格を失い、再び入会するためには改めて入会金を支払わなければならないこと、この外に特定の例会に参加するために運営委員会が決定した追加会費の支払が必要とされる場合があること、会費を納入した会員は引換にその月の会費納入済証紙を受取り、これを会員証の裏面にその都度貼つて行くこと、例会会場に入場するためには、その例会に対応する月分の証紙を貼つた会員証を持つて行く必要があること、(原告の例会は時期により相違するが年間六ないし八回行われるので、例会がない月もある)昭和四〇年四月ごろまでは、会費の納入と同時に座席の指定も行われることになつていたこと(座席券を交付する、入場のときこれを呈示する)、原告の組織運営方針としては、会員の数を増やすと共に、一旦入会した者は引続き会員としてとどまつてくれることを期待し、そのためにできるだけ会員の希望にそつた演劇を提供するように配慮しているが、現実にはそのときの演劇の如何によつて会費を納めるものの数が浮動し、中には一時的に入会する者もあつて、原告の例会は会員だけが参加できると言つても、実態は一般に開放されているのと異らない面があること、一方原告は意思決定機関たる総会、執行機関たる運営委員会、事務局等の機関を有し、運営委員長を代表者とし、また原告によつて雇用されている専従の事務局長をおき、例会の開催に必要な出演契約、会場借上契約等は、運営委員長又は事務局長等によつて原告の名と責任においてなされていること、以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。したがつて原告の会員の法律的な権利義務は原告の決定した一定金額の会費を原告に納入し、これと引換に例会参加の権利を与えられることに尽き(座席券は前売券に相当する)、原告はこのようにして領収した会費をもつて例会運営に直接間接必要な諸経費をまかなうのであつて、たまたま会費を納入する者が少なくて欠損を生じたとしても、それは専ら原告の負担に帰し、逆にいくらかの剰余金が生じれば、それだけ原告の財政がうるおう結果になるもので、要するに例会運営に関する一切の収支は原告の計算に帰するものである、と解される。そうすると本件課税処分の対象となつた原告の各例会は、個々の会員とは別個独立の社会的存在である原告自体が、会員である多数人に観せるために主催した催物であると解せざるを得ない。
原告は前記原告の主張(二)(2)において述べるように、原告の組織や活動の実態からみて、例会には主催者と入場者との対立関係がない、と主張する。そして前掲各証言、原告代表者尋問の結果によれば、サークルの活動、例会企画の決定、例会運営の方法、例会の前後における学習や批評などについて、原告が会員の自発的、自主的参加をその本来の在り方とし、そのような運営に努めていること、上記証人等のような活動家が右方針にそつた活発な運動をしていること、したがつて例会などに原告主張の特色が存すること、が認められる(もつとも上掲書証によれば一般の会員については必ずしも右方針のような活動がされているわけではないことがうかがえる)。しかしそうだからといつて、さきに認定した事実からすれば、原告のいうように、原告は会員個人の集団ではあるが、個々の会員と対立し独立した存在ではない、とするわけにはいかない。例会は会員が全体でこれを主催し、会員全体がこれを鑑賞している、ということにはならない。原告は会員からの独立性を弱いものとすることをその本来の在り方としているであろうが、人格なき社団として前認定のとおり個々の会員とは別個独立の社会的存在であること、したがつて、観せる者と観る者との対立関係を否定しえない。原告の主張は採用できない。(もつとも原告がそのような在り方をしていることの文化的意義がそれなりに評価されるべきであるということを否定するものではない。)
四、原告は、会費は入場の対価ではないと主張する。しかし前記認定事実によつて明らかなとおり、会費の納入は会員が例会会場に入場する資格を得る要件であつて、その金額は必ずしも一定せず、例会の上演内容の如何によつて変動し得るものであり、かつ従来会員でなかつたものも、特定の例会に入場を希望するときは、入会金とその例会に対応する月分の会費を納入しさえすれば、会員として入場できることを考えると、会費は会員資格の取得および保持の要件たる一面を有すると同時に、実質的に入場の対価たる性質をも持ち、入場税法上の入場料金に当るものと言わなければならない。原告は、利益追求を目的とせず、会費は収支つぐなう程度で足りるというが、そうだからといつて右会費が入場料金に当らないことにはならない。その理由は被告が主張するとおりである。原告は、会費は原告の唯一の財源であつて、例会経費以外の支出にもあてられているという。しかし前掲各証拠によれば原告が例会以外に機関誌の発行、労演学校、ハイキング、キャンプ、スキー、パーテイー、合評会、研究会などの行事の開催をしていることはうかがわれるけれども、機関誌の発行は例会内容の紹介を主な目的としているもので、会費の一部がその発行費用にあてられるとしても、むしろ例会開催に附随する活動とみられるし、その他の経費を必要とする行事については、その都度これに参加する会費から実費程度の金額を徴していることがうかがわれる。もとより会員の大部分がもれなくこれらの行事に参加しているものとはみられない。仮りに会費の一部がある程度そういう行事のために使われることがあつたとしてもそのことによつてただちに会費の全部について入場の対価たる性質を認めることができなくなるものでもない。なお原告が人件費、事務所維持費等の経常費用の支出を要し、それが会費によつてまかなわれていることは前掲各証拠によつて認められるが、それは本来入場の対価の一部に含まれるべきものと言える。
さらに、弁論の全趣旨によれば、本件の例会当時には原告は二ケ月に一回例会を催し、会費は毎月二〇〇円づつ徴収していたことが認められるから、一回の例会について二ケ月分の会費四〇〇円が対応し、一回の例会の入場料金は四〇〇円ということになる。
五、原告は、入場税を原告に課することは、憲法第二五条に違反するという。しかし原告が行つているような営利を目的としない文化普及運動が社会的に独自の価値を有し、その健全な発展が期待されるものであることは、一般論として認められるとしても、現行入場税法の課税要件に該当する限り、原告に対してのみ納税義務を免れさせることが許されないことは言うまでもなく、また原告に入場税を課することによつて、「良い演劇を安い費用で広く公衆に提供する」という原告の目的が深刻に阻害され、その結果憲法が要求する生活権の保障をおびやかすほどに、原告の会員から文化享受の機会がうばい去られるものとも考えられない。原告の主張は結局原告の会員の大部分を占めると考えられる一般勤労者階級のささやかな文化的消費に税を課することの政策としての当否を論じるにとどまり、それはそれなりに意義を持つているとしても、本件各課税処分の根拠となつている現行入場税法の税率の程度をもつてしては、そういう消費に対して禁止的な抑圧を加えるほどのものとは言えないしその他同法およびこれにもとづく右各処分が直接憲法に抵触するほどに不合理であるとみられる点はないから、原告のいう違憲の主張は理由がない。
六、以上みたとおり、本件各課税処分が違法であるという原告の主張はすべて理由がなく、別表記載の原告の例会は入場税法第二条第一項の「催物」に、原告は同条第二項の「主催者」に、それぞれ該当するので、原告はその領収した入場料金について、法定の税率による入場税を納入すべき義務がある。
そして右各例会の一人一回の入場料金が四〇〇円であることは前に認定したとおりであり、また証人後藤和幸の証言により成立が認められる乙第二六号証、証人大上真弘の証言により成立が認められる乙第二七、二八号証によれば、右各例会について別表の「入場人員」欄に記載されている人数は、いずれも当該例会の会場入口において税務職員が確認した入場人員数から、五パーセント以内の無料入場者があるものとして、五パーセントを控除して算出した人数であることが認められる。そうすると各例会ごとに右の「入場料金」欄の金額と「入場人員」欄の人数との積を原告が領収した入場料金の総額とし、これに基いて当該例会につき別表記載の各入場税額を決定したものであることが計算上明らかな被告の各処分は、いずれも正当である。
そして原告が以上の各例会の入場税額等について申告をしなかつたことは、弁論の全趣旨から明らかである。そうすると原告は右各例会につき、別表記載のとおりの無申告加算税を納付すべき義務がある。
七、以上みたところによれば、被告が原告に対してなした本件各課税処分はすべて正当であり、その取消を求める原告の請求はいずれも理由がない。
よつてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 水上東作 裁判官 中島尚志 裁判官山田真也は転補につき署名押印できない。裁判長裁判官 水上東作)
目録
第一、昭和三九年五月二〇日付静岡間消第二一五号による入場税決定ならびに入場税無申告加算税賦課決定処分
<省略>
第二、昭和三九年六月二〇日付静岡間消第二八七号による入場税決定ならびに入場税無申告加算税賦課決定処分
<省略>
別表
<省略>